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お父さんからのバトン

父が亡くなって10日が経ちました。

葬儀から様々な手続きまで、怒涛のような1週間が過ぎて
ようやく落ち着いて、事実を受け入れています。
とはいえ、時々、ふっと立ち止まってしまうし
もう話すことはできないと思うと寂しさがこみ上げてきます。
「こんなに頑張った患者さんはお父さんだけですよ」
そうお医者さんから言われた時は、涙が止まらなくて、
悔しいけど、誇らしくて、なんだかわからないけど泣けました。
全力で生きた人だから、戒名は「全廣」です。(俗名は廣一)
父は茨城県生まれで、生家は興行師だったそうです。
戦前は、芝居小屋や映画館を経営して羽振りが良かったけれど
戦争で全てを失ってからは苦労が多い人生になりました。
「本当は新聞記者になりたかった」
小学生の頃に、父の夢を聞いたことがあります。
「だけど幼い兄弟を養うために、働くしかなかった」
タバコをふかしながらそう言っていました。
亡くなる1ヶ月ほど前に、だいぶボケてきた父に代わって
銀行口座や行政の手続きの整理をしました。
その時、小さな金庫が見つかって、中身を問いただすと
「まったくわからない・・・」って言うから、無理やりこじ開けたんです。
そしたら、中に入っていたのは国家資格の証明書でした。
一級整備士。昭和40年、僕が生まれた年に取得した資格でした。
証明書には30歳の父の顔写真が貼ってありました。
とても若くて、兄の顔に似てるし、僕の顔にも似ていました。
父は新聞記者になれなかったけれど、
母と僕たち兄弟を守るために一生懸命働いてくれたんです。
初めてキャッチボールをしたこと。
カーブの投げ方を教えてくれたこと。
夜行列車で東京へ行って、後楽園球場で野球を観たこと。
一緒に犬の散歩をしたこと。
コント55号を見ながら笑い転げていたこと。
中学の時、部活をサボってた僕を、本気で叱ってくれたこと。
そんな思い出話を、父と語り合うことはできないけれど、
僕の心の中にはいつも父がいます。
だから、寂しいけれど悲しくはない。不思議だけど悲しくはありません。
亡くなった時間は午前3時半過ぎでした。
僕は父の傍にいながら、母の存在を直感しました。
今ここに母が来ている。
15年前に亡くなった母が父に会いに来た。そう感じました。
母は僕の目を使って、父を見ていました。
母は僕の手を使って、まだ僅かに温もりがあった父の手を握りました。
父はその手を握り返しました。それが最後でした。
「終わりがきた。だけどそれでいいんだ」
亡くなる数日前に父が残した言葉です。
「・・・だけどそれでいいんだ・・・」
全力で生きた人。父らしい言葉だと思います。
次は僕が全力で生きる番です。
お父さん、ありがとう。バトンはしっかり受け取ったよ。

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