体罰と情熱のあいだ
先日、世界的に有名なジャズ奏者が
ルールを無視して演奏を続ける中学生を平手打ちする事件があった。
マスコミで大きく報道され、多くの有識者が意見を発表した。
悪いのは中学生であることは間違いない。
問題はそれを正す側の指導者のあり方だろう。
その矢先、地元の新聞に、高校野球指導者の体罰が報道された。
サインミスした選手の足を蹴って胸ぐらをつかんだらしい。
昭和40年生まれで小中高と野球をやった私には見慣れた光景だ・・・
あの頃の指導者は恫喝は当たり前、ビンタやゲンコツは朝飯前だった。
とはいえ、時代は進んでいる。指導法も進化しなければならない。
メンタルコーチングを学んでから、私は体罰も恫喝も容認していない。
講演会などで、多くのスポーツ指導者から同じような質問を受けてきた。
「体罰はともかく・・・怒ったり怒鳴ったりするのもダメでしょうか?」
その気持ちはよくわかる。
そもそもスポーツ指導者は情熱的な人が多い。
勝つために一生懸命にやっている。
中には自分の時間や家族のことを犠牲にして取り組む人だっている。
なのに、選手たちは期待を裏切る。
本気でやってないように見えてしまう。
怒りたくなるのは無理もない。怒鳴ってしまうだろうな・・・。
そんな時、こう自問自答してみる。
「何かを教わる時、殴られたり怒鳴られたりしたいか?」
殴られるのは絶対に嫌だ。怒鳴られるのも・・・やっぱり嫌だ。
自分が悪い・・・理性では理解できても、感情が拒否反応を起こす。
私なら、おそらく3日と持たないだろう。すぐに逃げ出すだろう。
一瞬、反発心は出るかもしれない。
だけど持続的なモチベーションは上がらない。
人を指導する。人を育てるって、本当に大変なことだ。
技術だけを教えても上達しない。技術を操るのは人間の心だからだ。
指導者は技術とともに、心のあり方を伝えなければならない。
それには自らの言葉と行動で、人としてのあり方を見せるしかない。
指導者が怒りを爆発させ怒鳴り散らせば、選手はその姿に学ぶ。
相手が間違っていれば、怒って怒鳴ればいいと。
その選手が社会に出たら同じことをするだろう。
部下は使えね〜〜!って、怒って怒鳴って蹴飛ばすかもしれない・・・。
本当はそうじゃなかったはずだ。
野球の楽しさを教えたかったはずだ。
音楽の素晴らしさを伝えたかったはずだ。
厳しさ=怒ること・・・それはちょっと違うだろう。
厳しさとは、絶対にあきらめない姿勢だ。
指導者は選手の可能性を絶対にあきらめない。
「必ずできる」「やればできる」「お前は絶対にできる」と信じること。
恫喝のかわりに勇気の言葉を送り続ける。
時間はかかるかもしれないけれど。続けてみてほしい。
絶対にあきらめない人を情熱家と呼ぶ。
情熱ある指導者のみなさん、あなたの仕事が未来を作っている。
目の前の勝利も大切だが、未来への貢献はもっと大切だ。
勇気を持って、一緒にやろう!
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