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2016年12月

あの子の母親の手記に思う

前回このブログで書いたこと。



僕の地元の中学の男の子が自殺した件。


あれは確か夏休み最後のあたりだった。


その直後に、また地元の中学の女の子が亡くなった。


女の子の方は、全国ネットのニュースにもなったので


知ってる人もいるだろう。


二人ともいじめを苦に自らの命を絶った。


二人とも遺書のようなものを残していた。


もうこんな毎日は嫌だ。死んだ方がマシだ。


そんな悲痛な叫びが綴られていた。


あれから4ヶ月の月日が流れた。


有識者による原因究明が行われた結果、


女の子の方は、いじめが直接的な原因として認められた。


ラインなどで暴言を吐いた同級生の子が指導を受けたそうだ。


一方で、男の子の方はいじめが一因でしかないと報告された。


つまり、要因は他にもあり、いじめだけが自殺の原因ではないと。


それを受けて、男の子の母親が「納得できない」という手記を発表した。


手記を読むと、我が子を失った母親の悲しみが溢れている。


『優しい子に育てた自分がダメなのかな?


怒りは人をゆがめてしまうけど、それでも許したくない。


いじめた人たちには罰を受けてほしい』


子を持つ親なら、この言葉は共感できるだろう。


怒りも憤りも悲しみも、消えることはない。




どうしたら、いじめがなくなるのだろう?


本当はどんな世界になったらいいのだろう?




今、子供達の世界に何が起きているのかな。


子供達の世界は、大人の世界の投影かもしれない。


大人がやっていることが、そのまま子供達に反映されている。


勝つか負けるか?競争に勝ち残ること。


自分さえよければいい。自分の家族さえ幸せならいい。


自分の会社だけが儲かればいい。


自分の住んでる場所だけ、清潔ならいい。


自分の国だけが平和であればいい。


私たち大人が、そう考え、話し、行動するのなら、子供達もそうするだろう。


私たち大人が、しくじったものを責め、罰を与え、排斥すれば


子供達もそうするだろう。


そういえば、2016年は、たくさんの人がしくじって、徹底的に責められていたね。


あれは、言葉を変えると、マスコミを使った公開いじめじゃないかな。


攻撃されたものは必ず報復する。


ある意味、自殺は生きている人への報復かもしれない。


そして、戦いは新たな戦いを生み出すだけ。




誰かが終わらせなきゃいけない。


勇気を持って、戦いの悪循環を止めなければいけない。


それはやっぱり大人たちの仕事なのだろうと思う。


子供達のお手本となり、背中で見せる時なのだ。


お母さんには酷かもしれない。


今は悲しみと怒りを抑えるのは無理かもしれない。


だけれども、いつか戦いに終止符を打とう。


罰を与えることではなく、愛と赦しで世界を変えよう。


2017年は、その始まりでありたい。


私はそのために祈り、語り、動く。そうありたい。


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