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2010年5月

クロフネ来たる! ~中村文昭講演会~

もし、20歳の頃の自分に、何かアドバイスをおくるとしたら、

2つのことを伝えたいなぁ~と思います。

一つ目は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく!」を読むこと。

もう一つは、「中村文昭」さんの話を訊くこと。

20歳の頃の私は、不満の塊でした。

「こんなはずじゃない!これは自分じゃない!こんな大人になる気はない!」

社会に順応できなくて、毎日がつまらなくて、全然モテなくて・・・。

そのくせ、大きな夢があるわけじゃない。

ただ、自分はもっと違う生き方をしたい、そんな曖昧な未来しか見えなかった。

あの頃の私に必要だったのは「黒船」だったのではないでしょうか?

今になって、そう思ったりするのです。

「チマチマしてないで、おまんも、でっかく生きてみるがいいゼョ~」と

背中をバシンッと叩いてくれる言葉が必要だったのです。

それが「竜馬がゆく!」であり、「中村文昭」さんなのです。

中村文昭さんは、三重県の山奥に生まれた野生児だったそうです。

身体が大きく、喧嘩も強く、学校では敵なしでした。

ところが、中二のときに、同級生全員から無視されるという報復を受けます。

無視はその後13カ月間も続いたそうです。

文昭さんはこの試練の中で、大きな学びを得ます。

それは、「友だちを大切にする」ことでした。

彼は、友人を大切にすることから、「他人のいいところ探し」が得意になります。

以後、その特技が中村文昭さんの人生を方向づけることになります。

18歳で上京。人生の師匠と出会い、野菜の行商集団に加わります。

その後、都内に飲食店をオープンさせるなど大活躍します。

そして、21歳で故郷三重に凱旋。飲食店「クロフネ」を独立開業します。

クロフネは黒船。龍馬好きの文昭さんならではのネーミングですね。

26歳で2号店のウエディングレストラン「クロフネ」をオープン。

「本当に祝福してもらえるウエディング」を目指し、

年間50組の挙式・披露宴をプロデュースしています。

32歳で講演活動を開始。全国行脚の旅が始まります。

昨今では、ニートの若者を社会復帰させる「耕せにっぽん活動」や

全国の素敵な先生を紹介する「あこがれ先生プロジェクト」を立ち上げています。

そのエネルギッシュな生き方と、誰をも魅了する屈託のない人間性は

まさに現代の坂本竜馬と言えるかもしれません。

大嶋啓介さんも、文昭さんの兄弟分として親交が深いそうです。

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その中村文昭さんが八戸にやってきます!!

●7月27日(火)18時30分~ 八戸市公民館にて

入場料/一般1,500円 学生500円

私たち「笑売繁盛会議」も後援することになりました。

後援というより、応援サポーターというスタンスで行こうと思います。

とにかく、たくさんの人たちに中村文昭さんの言葉を訊いてほしい。

特に若い人たちには、ぜひぜひ、文昭さんの肉声に触れてほしいのです。

きっと、何かを変える一つのきっかけになります。

そして、その小さなきっかけが、何十年後かの人生を大きく変えるのです。

もし、ここに20代の私がいたとしたら、首に縄をつけてでも連れて行きます。

「かっこいい生き方ってなんだ?」

「本気で生きることじゃないのか?」

「本気ってなんだ?今すぐ一歩踏み出すことだ!」

20代の私が、中村文昭さんの熱い言葉に触れたとき、

きっと、往復ビンタを張られたような気分になるでしょう。

そして、夜、布団の中で、自分の生き方を考え直すはずです。

今の私は44歳だけれども、人生に遅すぎるなんてことはない・・・。

まだまだ、でっかい人生をあきらめてないですよ!

7月27日が楽しみだなぁ~

★チケットが欲しい方は連絡ください!

仕事を早めに切り上げて、みんなで文昭さんの言葉に触れましょう!!

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追悼 ラッシャー木村

また一つ、昭和プロレスのシンボルが消えました。

ラッシャー木村。本名・木村政雄。享年68歳。

まず最初に断っておきますが、ラッシャー木村というレスラーは

決してコミックレスラーではありません。ガチで強かったファイターでした。

デビューは1965年。将来有望と言われた大相撲を廃業し

夢だったプロレスの世界に飛び込みました。

デビュー戦の相手は、高崎山猿吉選手。

決してコミックレスリングではありませんよ。

その後、分裂した日本プロレスから国際プロレスへ移籍。

ジャイアント馬場の全日本プロレス、アントニオ猪木の新日本プロレスに

対抗する第三の団体のエースとして活躍します。

しかし、人気の馬場、実力の猪木に対して、地味で華のないラッシャー木村の

国際プロレスは興行的に大変な苦労をします。

昭和プロレスと共に歩んだと、自負する私でさえも、

国際プロレスの試合を生で観たのは一度だけしかありません。

小学生だった私は、ほの暗い照明の中で行われる地味すぎる試合に

「やっぱり、猪木やマスカラスのほうがいいなぁ~」と、

言ってはいけない罰当たりな発言をしたものでした。

その後、国際プロレスは興行の不振から解散することになります。

ここから、ラッシャー木村の数奇なプロレス人生が始まりました。

まずは、当時、格闘王と言われたアントニオ猪木に挑戦。

盟友であるアニマル浜口らを引き連れて、新日のリングに乱入しました。

そして、あの名言が生まれます。

本来ならプロレスのリング上で、挑戦状を叩きつける訳ですから

「猪木この野郎~!てめぇ、ぶっ殺すぞ~!逃げんなよぉ~この野郎!」

と言った威勢のいい言葉が飛び出すはずでした。

ところがラッシャー木村はマイクを取ると、

「こんばんは、ラッシャー木村です」と、朴訥とした口調で挨拶をしました。

これには、会場からは失笑、猪木は苦笑い、お茶の間は爆笑です。

後日談、ラッシャー木村は「初めて新日のリングに上がったのだから

まずは、あいさつするのが当り前ではないか・・・」と真相を語りました。

ラッシャー木村は良識ある日本人なのです。決して天然ではありません。

ちなみに、猪木vs木村は、なかなか凄味のある怖い試合でした。

最後は猪木のアームブレーカーで、腕を破壊されラッシャー木村が敗れました。

今思えば、この試合がガチンコ・レスラーとしての

ラッシャー木村のクライマックスだったかもしれませんね・・・。

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新日で尻すぼみとなったラッシャー木村は、馬場さんの全日に拾われます。

当時の全日のスローガンは「明るく楽しく激しいプロレス」でした。

ラッシャー木村は、その中の「楽しい」を担当することになります。

馬場さんとの義兄弟タッグは、ベテラン漫才コンビのように

いぶし銀の味わいがありました。試合より試合後が楽しみでした。

馬場さんのことを「アニキぃ~」と呼ぶラッシャー木村は輝いていました。

★以下、ラッシャー木村のマイクパフォーマンス名言集です

●「馬場~、この野郎、てめぇ~!あけましておめでとう」

●「オレはな~、これだけ馬場と試合すると、他人とは思えないんだよ~

だから一回でいいからな~、お前のことをアニキと呼ばせてくれ、この野郎~」

●「渕~!お前もそろそろ結婚しろ、この野郎~!

仲人がいなかったら、オレがアニキに頼んでやるからな」

●「渕~、秋田美人はいいぞ~秋田美人を嫁にもらえよ、この野郎~」

●「ブッチャー、今日は試合に負けたけど、

オレには、今夜はな~、ススキノが待ってるんだバカ野郎~」

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ラッシャー木村は、いいレスラーでした。そして、いい人でした。

昭和のプロレスが生んだ素晴らしい名脇役でした。

68歳の早すぎる死。なぜだかレスラーの最後って哀しいね。

ご冥福をお祈りします。

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おいかけっこ

その生き物を視界にとられた時、小熊に見えた。

熊って!うっそ~ん!!熊はないだろ・・・

50メートルほどの距離に近づくと、結構毛足が長いことに気づいた。

ポニーか?子馬?馬って!うっそっそ~ん!!

かなり大きいぞぉ。4つ足で60~80センチかな?

立ちあがったら150センチはありそうだ。

日曜日の朝、私はいつものジョグングコースを走っていた。

新井田川の河川敷の遊歩道である。

前日までの快晴から一転、曇天の空に湿気を含んだ冷たい浜風が吹いていた。

ウォーキングや犬の散歩をする人たちも、いつもより少ないように感じた。

そんな日曜の朝。なんなんだ、あのデカイ生き物は?なぜここにいるんだ?

巨大な生き物は、ゆっさゆっさと身体を揺らして、遊歩道をゆっくり進んでいる。

私と生き物の距離が20メートルを切った。

そのとき生き物が、歩くのをやめて川に目線を送った。

生き物の全体像がつかめた。犬じゃないか?それにしてもデカい。

狭い遊歩道にデカい犬。うわぁ~どうしようと思いながらも、

私はジョギングを続け、グングンと犬に近づいた。

よく見ると、犬は巨体に似合わず愛らしい顔をしていた。

灰色の長い毛が美しい。目元は毛に覆われて、まるでぬいぐるみだ。

さらに近づくと、犬が私に気づいた。犬は、ビクッとなり、腰を引いた。

犬は私を見て、怖れおののいていた。完全にビビっていた。

そして、小さくクゥォ~ンと鳴き声をもらすと、一目散に走り出した。

えッ?私は行き場をなくしたような気持ちになった。

人間と大きな生き物が遭遇したら、怖がるのは人間のほうだ。

それが我々人類の特権のはずだ。なのになぜ、お前がオレを怖がる?

とにかく、犬は巨体を揺らして走っていく。遅い。明らかに運動不足だ。

私は、もちろんジョギングを続けた。他にやることもないのだ。

それは見ようによっては、犬を追いかけるカタチになっていた。

犬は首輪をしていなかった。しかし一見して血統書付きの気品を感じさせた。

周囲に飼い主らしい人物も見当たらない。

つまり、迷子犬なのだ。何かの拍子に犬舎から抜け出したのだろう。

そして、犬はこの状況にパニックを起こしている。

途方にくれ、恐怖心に襲われ、自制心を失っている。

私と犬の距離がだいぶ離れた。セーフティゾーンなのだろう。

犬は走るのやめて休んだ。大きな舌を垂らして、ハァハァ言っていた。

しかし、追跡者はヒタヒタと距離をつめ、犬を追い込んだ。

犬と追跡者の視線がぶつかった。一瞬、犬の顔が恐怖にゆがんだ。

犬はヒィヒィ言いながら、また逃走を開始した。

私は不本意だった。「オレはお前をおいかけてるんじゃねぇ~」

追跡者となった私は困り果てた。この状況を何とかしなくては・・・。

犬はちょうど3メートルぐらい前を走っていた。

私は苦笑いしながら、犬の後ろを走った。

犬と私は絶妙の距離感で走っている。まるで愛犬と飼い主だ。

知らん人が見たら、愛犬と戯れる日曜日のおっさんである。

しかも、大きな犬を放し飼いにして散歩するエゴイストのおっさんだ。

「違う!違う!違うんだ~!」私は誰に言うでもなく言い訳をした。

この犬と私は何も関係ないんだぁ~。信じてくれ~!

犬は時折、後ろを振り返り、追跡者を確認し、また怖れおののき走った。

追い越すに追い越せず、犬に逆襲される最悪のシナリオも頭にちらついた。

私は最後の手段を講じた。

コースを変えよう。私は河川敷の土手を駆け上がった。

追跡者の気配が消えたのを感じたのか、犬は走るのをやめた。

そして、草むらにそぉっと身を寄せて、私の方を見ていた。

土手を駆け上がる私を見て、さぞ、ほっとしたに違いない。

犬は今来た道をゆっくりと戻り始めた。

犬のおかげでジョギングコースを変えるはめになった私は憤りを感じた。

しかし、犬に罪はあるのだろうか?いやない。

悪いのは飼い主である。こんなに小心な犬を放置するなんて考えられん!

「早く家に戻れるといいねぇ・・・」私は犬のため、天に祈った。

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★帰宅後、インターネットで犬の種類を調べてみた。

おそらく、ベアデッド・コリーという種類だろう。

元々は、スコットランドの牧羊犬であるらしい。

成犬になると体長60センチ、体重30kgにもなるそうだ。

忠実で賢く、動作は機敏で頼もしい・・・とのこと。(ホンマか?!)

きっと、ビビりは過保護な飼い主の責任なのだ。

★ついでに愛犬家のみなさんに言いたい!

ノーロープ(放し飼い)の散歩はやめてほしい。

あなたがペットを信頼するのは自由だが、他人には関係ないのだ。

犬は犬。生存本能が働けば、噛みついて自分の身を守るはずだ。

ホントに犬を愛しているのなら、ロープをつけて散歩してほしい。

犬の大小にかかわらずマナーを守りましょう!

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田植えとドヤ顔

五月晴れの土曜日、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

今日はホントに雲ひとつない快晴で、めっちゃ気持ちいいですねぇ。

私が毎朝走っているジョギングコースからは、

田んぼがよく見えるのですが、ようやく田植えが始まりましたね~。

今年は天候不順で、随分遅めの田植えのような気がします。

例年なら、ゴールデンウイーク明けにはやってませんでした?

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それにしても、水が張られた田んぼって、美しいですねぇ。

真っ青な空色が映りこんだ水面がキラキラ輝いていて、

5月の風に吹くと、水が静かに揺れていました。

まさに日本の原風景です。

思わず立ち止って見とれていると、農家のおばあちゃんと目があって

にっこり微笑みあってしまいました。農家の皆さんも嬉しんだろうなぁ~。

みなさんは田植えをやったことありますか?

私は小学校の体験学習以来、やったことがありません。

裸足にヌルッとした田んぼの感触が、意外に気持いいんですよね・・・。

それから、田植えの後に食べた、塩むすびと麦茶が旨かった。

春というよりは初夏の風物詩。田植えが終わると夏の気配が漂ってきます。

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お米といえば、昨日食べた、鳳凰シノワの「シェフおすすめランチ」。

「マーボ飯」「五目あんかけご飯」「チンジャオルース丼」の3種類から

選べるのですが、昨日の私は「マーボ飯」をチョイスしました。

これがまた、めっちゃ旨いんです!ご飯とマーボのバランス。

スパイスの量と辛さ。お豆冨の食感。とにかく抜群の美味しさでした。

さらに点心、スープ、サラダ、手作りの杏仁豆冨までついて850円です。

これは、かなり満足度が高いなぁ~と関心してしまいました。

私が関係者だから、そう思ったのではなく、一人のユーザーとして

心の底からお奨めできる一品だと思います。

みなさん、ぜひ食べてみてください。

ちなみに、マーボ豆冨は、グランドシェフの箭内さんの手を離れ、

大三村くんの担当になったそうです。もちろん箭内さんが監修しています。

「今日のマーボ、いつもに増して旨かったね~」と言うと、

大三村くん、史上最高のドヤ顔で「え~え~、私が作りました」と。

そこはあまりいじらずに話を続けていると、

何度も「今日のマーボは私が作りました」って、ドヤ顔リピートされました。

このドヤ顔を見たい人は、鳳凰シノワでマーボをご注文ください。

そして、帰り際にでも「今日のマーボ、めっちゃ旨かった」と言ってください。

間違いなく、ドヤ顔 OF ドヤ顔、極ドヤ顔(大)を拝めると思います。

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ニーチェと相田みつを

●「いまからここから あしたはあてにならぬから」

相田みつを

●「始めるから始まる。  

すべて初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。」

ニーチェ

●「仕事  おなじやるならば 本腰を入れてやってごらん

そのほうが つかれないで たのしいから」

相田みつを

●「少しも悔いのない生き方を。

今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくりかえしてもかまわない

という生き方をしてみよ。」

ニーチェ

●「ちからをいれて りきまない

それがなかなかできないわたし」

相田みつを

●「力を入れすぎない。

自分の力の四分の三ほどの力で、作品なり仕事なりを完成させるくらいが

ちょうどいいものが出来上がる。」

ニーチェ

★いかがでしょうか。東西を代表するメンターの金言を並べてみました。

相田みつをさんは、ご存知の通り、書家・詩人であり

没後の現在もなお、多くの人の心に温かい火を灯し続ける

日本を代表するメンターの一人です。

ニーチェは1844年にドイツに生まれた作家・思想家。

二十世紀の哲学思想に大きな影響を与えた偉大なる哲人です。

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先ごろ、ガラにもなく「超訳ニーチェの言葉」という書物を手に取りました。

普段は俗っぽい本ばかり読んでいるものですから、

ニーチェなどという高尚な世界に触れることは滅多にありません。

とにかく、ゆっくりと噛みしめるように読めば、理解できるかもしれない・・・

そう思い、牛の歩みか、亀の歩みか、ジワジワと読み進みました。

するとどうでしょう・・・思いのほか理屈っぽくない。

ストレートで切れ味のいい言葉が、5月の風のように吹き抜けていくのです。

そういえば、かつてこれに似た言葉に出会ったことがある・・・。

そう、そう、そうだ、相田みつをさんだ!そんなふうに感じた訳です。

「つまづいたっていいじゃないか。人間だもの」

これは最も有名な相田みつをさんの言葉です。

「いつかは死ぬのだから、ほがらかにやっていこう。

いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。」

こちらはニーチェの言葉です。

私はこの二人の思想の根底に同じような視点があるように思うのです。

人の弱さを認めた上で、それでも果敢に生きていこう、

そんな凛としながらも優しい眼差し、とでも言いましょうか。

ときどき、自分の足元を見つめてみましょう。

あまり先ばかりを見すぎると短気を起こしてしまいますから。

★最後にもう一つ、ニーチェの言葉です。

「もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。

恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。

にこにこしよう。素直な気持ちになって、子供のように喜ぼう。

喜べば、くだらないことを忘れることができる。

他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほど喜ぼう。

喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。」

   

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なで肩のサムライ

当代一の坂本龍馬フリークと言えば、武田鉄矢さんではないでしょうか?

武田鉄矢の代表作「金八先生」の名前は坂本金八。

もちろん坂本龍馬にあやかったネーミングです。

龍馬伝では、坂本龍馬の師匠である勝海舟役を熱演していますね。

「今度は龍馬を育ててみませんか?」と大河ドラマのプロデューサーに

口説かれたそうです。そのときは万感の思いがこみあげたと言います。

その武田鉄矢さんが「私塾・坂本竜馬」という本を出しました。

本の腰巻には「この男に魅せられて42年。わが竜馬かぶれ一代記」とあります。

私などは、龍馬かぶれ歴はわずか10年足らず、武田さんの足元にも及びません。

武田さんは司馬遼太郎の「竜馬がゆく!」を常に持ち歩いているそうです。

何かにつけ本を開き、何度も何度も読み直しいるとのこと。

武田さんは龍馬道の黒帯、いや、もはや家元と言っても過言ではありませんね。

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さて、その「私塾・坂本竜馬」の中にとても興味深い記述がありました。

それは、龍馬が残した1枚の写真。

大刀を腰に差し、ブーツを履き、椅子に座っている写真でした。

武田さんは、龍馬の肩が異常なほど、なで肩であることに注目します。

女性でも、これほどのなで肩はいないだろう、と思うほどのなで加減なのです。

一見、サムライらしからぬ様子なのですが、これには深い理由があったのです。

古武術道の大家・甲野善紀氏によると、なで肩こそ剣客の証とのこと。

武士たちの修行は徹底した脱力技術の会得だったと言うのです。

身体のどこかに殺気がこもると肩に力が入る。

肩をいからせているようでは、一瞬の間で斬り合う修羅場で一呼吸遅れる。

呼吸の遅れは死を意味する時代ですから、納得できますよね~

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例えば、メジャーリーガーのイチロー選手は究極の打法を「脱力」と説きました。

サッカーの中田英寿選手のキラーパスは、まさしく脱力による技でした。

ゴルフの石川遼くんも肩関節のやわらかさに世界のトッププロを驚かせました。

龍馬と同じ時代を生きた、新撰組の土方歳三も剣客として有名ですが、

その土方さんの写真を見ても、同じようになで肩が確認されています。

なで肩こそ、達人の証明。

そう言えば、業種にかかわらず、熟練工たちの動作というものは

無駄な動きがなく、流れるように見えますもんね~

どこに力が入っているのか解らないほど、やわらかい動作で黙々と仕事をする。

まだまだ未熟な私は、つい肩をいからせ、力みかえって仕事をしてしまいます。

時々、厳しい顔になり、とげとげした言葉を吐き、怖い様子にもなったりします。

いかん!いかん!いかんゼョ~!

もっと、穏やかに、柔らかく、力を抜いて、なで肩で仕事をしなくては!

あなたはどうですか?最近、肩が凝っていませんか?

肩で風切る生き方よりも、柳に風が如く、なで肩でいってみましょうよ。

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カシオペアの丘

重松清さんの「カシオペアの丘で」という本を読みました。

重松さんの作品の中では、もっとも長いお話だそうです。

いつもながら、読後に、心の芯がホワっと温かくなるような素敵な小説でした。

物語の始まりは、小学校4年生の仲間4人が、

宇宙船ボイジャー1号と2号を見るために、夜中に家を抜け出し

自転車で丘に向かうシーンから始まります。

舞台は北海道の真ん中にある小さな炭鉱町。

4人の友だちは、シュンとトシとユウちゃんとミッチョ。

男の子が3人に、女の子がひとり。

4人は息を呑むほど美しい夜空を見つめます。ボイジャーは見つからなかったけど。

それは、生涯忘れられない瞬間となりました。

4人はその場所を「カシオペアの丘」と名付けます。

将来、大人になったら、その丘に遊園地を作ろう、と約束を交わします。

物語はそこから一気に29年進みます。

シュンとユウちゃんは故郷を離れ、東京で暮らしています。

トシとミッチョは結婚して、故郷の北海道にいます。

トシは小学校5年のときに大怪我をし、それ以来、車椅子で生活しています。

トシの仕事は遊園地の園長。遊園地の名は「カシオペアの丘」と言います。

夢が叶った!そんな美しい話かと言えばそうではありません。

遊園地は町の3セクで経営され、毎年多額な赤字を計上していました。

「カシオペアの丘」は、閉館まで秒読み状態になっていたのです。

一方、シュンは、小学校5年の途中で札幌へ転校します。

その転校は、トシの大怪我が原因でした。

シュンは自分のせいでトシが怪我をし、車椅子生活になってしまったと

29年間も罪を背負い続けてきたのです。

怪我をした日を境に、シュンは一度もトシと会っていません。

そんなある日、39歳のシュンにガンが見つかります。余命半年です。

シュンは自分の運命を受け入れ、過去の贖罪の旅に出ます。

そして、4人はカシオペアの丘で再会を果たします・・・。

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その後、物語は様々な伏線が絡み合いながら、じっくりと語られていきます。

人間の強さ、弱さ、許すこと、許されること、家族、友だち・・・。

ガンに侵されたシュンが、死の間際に交わす言葉は感涙でした。

特に、息子の哲生くんとのくだりは号泣してしまいました。

哲生くんはちょうど小学校4年生です。

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随分むかしですが、作家の村上龍さんが言っていました。

男子が女性の支配から解放される期間は3年だけある。

それは、小学校4年から6年までの3年間。

小学校3年生までの男子は、母親の支配下にあり、

中学校1年から先はずっと、おそらく同世代の女性に支配され続ける。

私は、この意見に同感なのです。

男子が純粋に男子であるのは、まさしくこの3年間であります。

宇宙船を肉眼で見るために、夜中、自転車で走りまわることができるのは

絶対にその3年間しかないでしょう。違いますか?

悪ガキだった私ですから、当時の友だちには謝るべきことが山ほどあります。

彼らは許してくれるでしょうか?許してくれるよな!

そのときは、オレたちの「カシオペアの丘」で再会しようじゃないか。

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なぜ龍馬はモテる?

坂本龍馬ほど、モテる男はいないでしょう?

土佐には平井収二郎の妹「加尾」。江戸には千葉道場の娘「佐那」。

京都には龍馬の妻となる「楢崎龍」。さらに、長崎には芸妓の「お元」。

龍馬伝で言うならば、加尾ちゃんは広末涼子。

千葉佐那さんは、貫地谷しほり。お龍さんは、真木よう子。

お元は、蒼井優が演じるそうです。

う~ん・・・福山龍馬なら納得してしまうけど、

実際の坂本龍馬だったら、もっと納得してしまうのです。

龍馬のモテぶりは、年頃の女性に限らず、子供からご年配まで幅広かったそうです。

土佐や江戸では、近所の子供たちの人気者だったし

京都の宿屋の女将「お登勢」なども、人間・龍馬に惚れた一人です。

「なんで、龍馬ばかり・・・!」と悔しがるのは、岩崎弥太郎だけではないでしょうね。

しかしながら、龍馬は同性からもよくもてました。(変な意味ではありません)

特に年上の知恵者や権力者に、随分かわいがられました。

土佐の吉田東洋、河田小龍。江戸の千葉定吉、勝海舟。

越前の松平春獄。さらに、吉田松陰や横井小楠。

薩摩の西郷どんや小松帯刀なども、龍馬に惚れ込んだ人たちです。

龍馬さん、モテすぎです!おまんは、人たらしの名人ゼョ!

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脳科学者の茂木健一郎氏は龍馬のモテ力を次のように分析しています。

●龍馬は3つのコミュニケーション技術を会得していた。

①「ダメダメ語り」 ②「ユーモア」 ③「下から目線」

つまり、自分の弱みや欠点を他人の前でユーモラスに語れること。

自分の欠点を笑える度量が、その人を魅力的に輝かせるのです。

これを脳科学的には「ミラーニューロン効果」と言います。

大脳には他人の行為を自分の行為であるかのように映し出す部分があり、

この「鏡」のように働く神経細胞を「ミラーニューロン」と呼ぶそうです。

自分をさらけ出せば、相手も気を緩めて自分の心の内を見せるようになる。

低姿勢の下から目線で話せば、相手もそれにつられて目線を下げてくれる。

このミラーニューロンが活発に活動すると、「共感回路」が働き始めます。

共感回路とは、相手の心情や様子に共感する回路。

共感が生まれれば「好き」になり、ついには「惚れる」ことになります。

3つのコミュニケーション技術を駆使することで、

モテモテの坂本龍馬が出来上がった訳ですね~。

★さてさて、モテたくて、モテたくて、モテたい~ん諸君!

ルックスでモテるのは10代までですよ~

成人してからはコミュニケーション力でモテるんです~!!

①ダメダメ語り ②ユーモア ③下から目線

今日から、この3つを使って、モテモテ人生を歩もうじゃあ~りませんか!!

まずは、自分をネタに笑いをとってみよう~!

笑いは取れても、モテなかったらどうするって?

それは龍馬さんに聞くがいいゼョ~!わしゃ知らんきに~・・・

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1時間46分18秒

みなさん!やりましたよ~!「うみねこマラソン」完走しましたよぉ~!

5年ぶりの挑戦だったから、不安6割に期待4割って感じでしたが、

結構、楽しく走れました!まだまだヤレルじゃんって自信も出ました。

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タイムは1時間46分18秒です。

2時間切ればOKと思ってたので、まずは目標クリアです。

自己ベストは確か1時間41分だったはずです。

36歳で初めて「うみねこマラソン」を走ったときに出したタイムです。

あの頃は、マラソンレース自体が初めてだったので、もう無我夢中で走りました。

ビギナーズラックとよく言いますが、無心で走ったのが良かったようで

いまだに最初に出した自己ベストを更新できずにいます。

でもでも、5年ぶりに走ったレースで予想以上のタイムが出たのは嬉しい限りです。

ハーフマラソンのエントリー1431人で、私の順位は496位。

私より早くゴールを切った人の中に先輩は何人いたのかな?

その先輩たちに追いつくことが次の目標です。

今後の元気なおっさんは、異常に元気なおっさんを目指すのです。

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今回のレースで教訓になったことがあります。

それは、「目標設定」の大切さです。

夢や目標設定については、このブログで何度も語ってきましたが、

やはり、「目標設定」は本当に本当に大切なんだと気づかされました。

私の目標は「フルマラソン」を走ることです。

当面は「東京マラソン」出場を目指しています。

東京の後は、ホノルル、ニューヨーク・・・と海外進出も目論んでいます。

日々、42.195kmを目標にトレーニングしています。

つまり、ハーフマラソンは短期目標であり、通過点でしかありません。

「うみねこマラソン」のゴールを切って終わりではないのです。

実際、ゴール後に頭をよぎったのは「この倍の距離を走れるか?」でした。

プラス10kmまではイケそうな気持ちはありましたが、

さらに倍の距離を走る自信はまだ湧きあがってきませんでした。

ちなみに、100kmマラソンに挑戦する人たちは、

平気でフルマラソンを走っちゃう、という話を聞いたことがあります。

つまり、目標設定の仕方によって、能力が引き出されるということです。

★八戸で一番になりたかったら、日本で一番を目指せばいいのです。

志は高く!高く!高く!ホラ吹きと笑う者は笑えばいいさ・・・。

あなたは小さすぎる目標を設定していませんか?

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えっ!ランニングシューズが・・・

いよいよ2日後に迫った「うみねこマラソン」。

今年は史上最多の5802人がエントリーしています。

私も5年ぶりの出場。もちろんハーフマラソンに挑戦します。

39歳以上の男子ハーフマラソンの部はもっとも激戦区です。

40歳を過ぎて、シャレやヒヤカシでハーフは走れません。

したがって、きっちり走り込んできた、おっさんランナーが集うわけです。

実際、おっさんランナーの底力は凄いですよ~

瞬発力や馬力が落ちた分、忍耐力やセルフコントロールが卓越しています。

自分を見失うことなく、黙々と走り続けることができるんです。

マラソンで最も大切な「自分のペースを守る」ことが身についているんですねぇ。

私もおっさんランナーの一人として、「自分の走り」をやってきたいと思います。

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ところで、レースを目前に控えたこの時期、一番注意したいのは体調管理です。

この年齢になると、足首、膝、太もも、腰・・・などなど、痛いところは満載です。

どこか痛くて当然の状態ですから、いかに上手く故障とつきあうかです。

私などは、早朝ジョグの後、バンテリン塗りまくりですよ~

さて、そんなある日、ゴールデンウイークも後半の頃です。

いつものように早朝ジョグに出かけようと準備をしていました。

ウインドブレーカーを着て、ランニングシューズを履いた時、違和感がありました。

「なんか変だぞ・・・?」足元に異常を感じたのです。

純白に赤のラインが入ったナイキのランニングシューズ。

買ったばかりの真新しいシューズに、見たことがない紺色が混じっていたのです。

最初はゴミか糸くずかと思いました。

よ~く見ると、その紺色は履いていたソックスの色ではありませんか?

「えッ!」私は息を呑みました。そしてシューズを脱いで間近に見ました。

「裂けてるや~ん・・・」

右足の小指横部分がパックリと破けていたのです。

「マジかよ・・・考えられへんわ!!」

5年10年履きこんだシューズならともかく、まだ1カ月しか使ってないのに・・・

このまま走ったら、裂けた部分は広がって取り返しがつかなくなるでしょう。

とりあえず、使い古しのミズノのシューズを履いてジョグに出かけました。

ところが、一度、新品のシューズの味を知った私の足は

古いミズノくんに不満をタラタラ言い始めるのです。

ソールがすり減ったシューズだと、ふくらはぎの疲労感が違うんですねぇ。

という訳で、無理を承知でスポーツ店に駆け込みました。

もちろん、1か月ほど前に購入した、市内の「Xスポーツ」です。

シューズ売場のスタッフに「補修できますか?」と伏し目がちに聞くと

一瞬、スタッフさんは困ったような顔で「う~ん・・・」と唸りました。

とりあえず、あちこちに電話して問い合わせをしてくれました。

「補修はできると思います。3週間ぐらいお預かりすることになります」

「3週間ですか・・・、日曜日のうみねこマラソンで使う予定だったんだけど・・・」

「うみねこを走るんですか?」スタッフさんは気の毒そうな顔で聞き返しました。

「そうなんです。ハーフを走るんです」

ちょっと待ってください!スタッフさんはそう言うと、また電話をかけに行きました。

私は、別の新しいシューズを買う事を決意しました。

大会まで1週間をきったこの時期、新しいシューズはリスクがあるけれど・・・。

そのとき、スタッフさんが戻ってきました。

「メーカーに話をしたら、新品と取り替えることができました。」

彼の両手には、新品のナイキのシューズが抱えられていました。

「えっ!でも、いいんですか・・・?」私は驚きと嬉しさの間で揺れていました。

本当はシューズが悪いんじゃなく、私の足の形が悪いんじゃないかと。

「かまいません。メーカーも納得していますから。

それより、うみねこマラソン、がんばってください!」

スタッフさんの爽やかな笑顔をみて、足の形の話をするのは止めました。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

私は何度もお辞儀をしてその場を去りました。真新しいシューズを抱えて。

せめてものお礼にと、帰りにナイキにTシャツを1枚買いました。

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そんなこんなで、日曜日のうみねこマラソンには、新品のシューズで挑みます。

同じブランドの同じ品番の同じサイズなので違和感はありません。

心優しいXスポーツのスタッフさん、本当にありがとう!

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ついに青豆さんは天吾くんと

「1Q84」のBOOK3、ようやく読み終わりました。

BOOK1~2に引き続き、ますます濃厚に、より味わい深くなって、

すっかり村上ワールドに浸ってしまいました。

やっぱり面白いですわぁ~。村上春樹って凄いですねぇ~。

ストーリーテラーとしての側面、いわゆる面白い話を紡ぐ力量と、

機能的で無駄がない美しい文体、つまりは純文学としての側面と、

両面を持ち合わせている、稀代の小説家なのだろうなぁ・・・。

BOOK3をまだ読んでいない人のために、

あまりストーリーのことは触れたくないのだけれど、

「1Q84」を読んでいない人や、読もうかどうか迷っている人もいるだろうから、

ちょっとだけ「1Q84 BOOK3」のお話をしたいと思います。

1Q84年は、もうひとつの1984年の世界。

1Q84にはお月様が2つ存在し、それはマザ(母)とドウタ(娘)の象徴。

物語の中心にいる女性「青豆さん」は、宗教団体の教祖を殺害し逃亡中。

もう一人の中心人物「天吾くん」は、青豆さんの小学校の同級生で、

ずっと心の中で彼女を追い求めていました。

彼は死を直前にした父親の病床で、青豆さんの幻影を目撃します。

それは「空気さなぎ」という不思議な繭のようなものに包まれていました。

天吾くんは青豆さんに会いたい、と強く願うようになります。

一方、青豆さんも天吾くんを、ずっと愛していました。

小学校を転校して以来、一度も会っていないのに、

青豆さんは天吾くんのことを愛し続けていたのです。

教団から追われる青豆さん、事件の中心へと巻き込まれる天吾くん。

別々に語られていた2つの物語は1つに重なり合い、

ついに青豆さんは天吾くんと・・・。

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・・・とまぁ、要約するのも大変なくらい、複雑で不思議な話なものですから、

読んでいない人には???なのでしょうけど。

ともかくBOOK3まで読んじゃった人は、間違いなくハマっているはずです。

すべての謎は、BOOK4で明かされるのでしょうね~。

早く続きが読みたいです!発売は夏ごろになるのでしょうか?

「1Q84」はもちろん、村上春樹の作品は賛否両論が特に激しいけれど、

そもそも、芸術とは賛否両論あって当然でしょう。

私は単純に楽しめましたよ「1Q84」。

でも、やっぱり、お奨めするかどうかはわかりません。

村上春樹って、人から奨められて読むもんじゃないような気がしますから・・・。

もし、スリルに満ちたファンタスティックなラブストーリーに興味があるのなら、

今からでも遅くありません。ぜひ「1Q84」の世界を覗いてみてください。

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★ゴールデンウイーク、せめて一度くらい遠出しようと思って、

みちのくの小京都・角館に行ってきました。

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武家屋敷の板塀に、しだれ桜の淡いピンクが、よく映えていました。

近頃はこんな風景に心が動かされますねぇ~

昔は退屈にしか感じなかったのにね・・・。

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日本一幸福になれる店

昨日、「鳳凰シノワ」が無事にオープンしました。

業者さんや、友人知人、そして笑売繁盛会議のメンバーからも

たくさんのお花や開店祝いをいただきました。

本当にありがとうございます。

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広告代理店に勤めていたころ、オープンと言えば、

可能な限りの広告宣伝を行い、客寄せ用の鳴り物イベントを仕込み、

さらには、記念品や特典やセール品を山ほど用意して

大々的なプロモーションを行ったものです。

しかし、このたびの「鳳凰シノワ」のオープンについては

まったくその逆をやっています。

できるだけ静かに穏やかにオープンを迎え、

スタッフが平常心で仕事できるようにコントロールしました。

客数や売上げよりも、お客さまの満足度や、スタッフの充実感を優先したのです。

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まずは、「鳳凰シノワ」に流れる空気感を気にいってもらえればOK。

そのうち、シノワのやりたいことが徐々に伝わっていくでしょう。

理解者が増えれば、その中から、お店のファンのような方が出てきて

お店とお客様の心が通うふれあいが生まれてくるはずです。

「日本一幸福になれる店」への道のりは、そんなふうな地図に描かれています。

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オーナーの大三村くんや、グランドシェフの箭内さんも

そのへんのことはよく心得ていて、量よりも質を優先して行動しています。

だから、二人とも、とても充実感のある笑顔で仕事をしています。

とっても楽しそうです!彼らは今、夢のフィールドに立っているんだもんね~

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「鳳凰シノワ」という船は、港を出ました。

ときには、荒波や悪天候の日もあるでしょう。

でも、最高の景色や、感動の出会いも、たくさんたくさん待っています。

WE ARE THE DREAM TEAM!

鳳凰シノワの合言葉は「ドリームチーム!」です。

一つの夢のために集まった最高のチーム。

目指すは「日本一幸福になれる店」。

帆を張り、海風を受け、大海を渡る、冒険の始まりです。

みなさん、ぜひ応援してくださいね!!

★鳳凰シノワの営業時間

ランチタイム: 11時30分~15時

ディナータイム: 17時~23時

定休日:日曜日

*ゴールデンウイークは休まず営業 (5月5日はお休み)

★月初めのダイエット報告です

単月:プラス0.6kg

累計:マイナス22.6kg

シノワの料理が旨すぎて、ちょっとプラスでした・・・。

*今月はいよいよ「うみねこマラソン」です。

しっかり仕上げていかなアカンね~

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ジョギングコースは今、桜の回廊になっています!最高です! 

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