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パワハラ問題を学校の先生と語り合う 〜教育と部活とアート〜

先日、教育関係の研修会で講演させてもらった。

その懇親会での出来事。
ある中学校の管理職をやっている先生から直々の質問があった。
「昨今のスポーツの現場で起こっているパワハラ問題、
つむちゃんはどう思いますか?」
なるほど、この話題ね〜〜来たか〜って感じです。
「この問題は氷山の一角ですよね。どの競技でも同じですが、
掘れば掘っただけ出てくると思います」
とりあえず、当たり障りのないところから話してみた。
中学の先生は当然納得するはずもなく、語気を強めてきた。
「パワハラ、パワハラって言うけど、正直、そういう指導も必要じゃないですか?」
その先生は、今は管理職だけど、元々は野球部の指導をしていたらしい。
がっしりした体格で、言葉の端々から情熱がほとばしっている。
「そういう指導とは?体罰のことですか?」
「体罰・・・それはダメだけど・・・気合いを入れるぐらいは必要でしょ」
「なるほど、それは必要でしょうね」
「私が学生の頃は、部活動で体罰なんて当たり前だったし、
練習はいつもケンカ腰でした。監督に対して、このヤロウみたいな部分って
絶対にあったし、そこに本気の思いがあった。その体験から学んだことが
社会に出てから役に立った。間違ってますか?」
「いえいえ、間違ってないですよ。僕も似たような経験をしました。
あの頃は辛かったけど、今は、あの経験も必要だったと思いますもん」
先生はホッとしたような表情で、グラスのビールを飲み干した。
「今の流れでいくと、情熱ある指導者は行き場がなくなる。
子供たちも、本気でやり抜く経験をする機会を失うような気がするんです」
「確かに、指導のあり方に悩んでいる方は多いでしょうね」
「どうしたらいいですか?つむちゃんなら、どうしますか?」
今度は僕がノンアルビールをグイッと飲み干した。
「部活動は授業の一環だと思っています。
ただ楽しむだけのレクリエーションではなく、部活は学びの場だと思います」
先生は納得したように、大きくうなずいた。
「アクティブラーニングって注目されてますが、日本にはもともとあったんです。
それが部活動の場だった。子供達は部活からたくさんのことを学びます。
努力すること、勝利の歓喜、敗北から悔しさを知り、再び立ち直る経験をする。
コミュニケーションやチームワークや人間関係も学べる」
「でも一方で、指導方法は進化しなければなりません。暴力はもちろん暴言も
使わない。大声で怒鳴り散らす指導を卒業しなければなりません」
先生は黙って僕の顔を見ていた。 どうやら納得していないようだ。
「殴って教えられた子供は、人を殴ります。それは悪意ではないのです。
むしろ正しいことを貫くために暴力を使う」
先生はう〜んと唸りながら中空を睨んだ。
「子供は大人の一挙手一投足から学びます。いくらきれいごとを言っても
効果はありません。特に尊敬する先生がやったことは強烈に記憶されます」
一呼吸入れて、先生のグラスにビールを注いだ。
「ぼくは子供たちに暴力の使い方を教えるつもりはありません。
何か思い通りにいかない時に大声で怒鳴り散らす大人にもなって欲しくない」
「それはそのとおりですね」ようやく先生がうなずいた。
「で、先生に提案があるのですが・・・」
「指導者の情熱や本気をしっかり活かして、その上で、体罰や暴言を使わずに
部活を通して子供たちに最高の体験をさせる、それを目指してほしいんです!」
「・・・・できるかな?・・・・」
「やってみるんです!誰かがやってみせるしかありません」
ちょうどお開きの時間になった。
ぼくは先生と握手を交わした。分厚くて暖かい手だった。
人を育てる仕事に、正解はないのかもしれない。
相反することを両立させながら、美しいバランスを作り出すようなもの。
アートかもしれない。
教育とは人間が一生かけて取り組むアートかもしれないね。

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BASEBALL IS WAR ?

BASEBALL IS WAR!

この言葉は90年代に活躍したメジャーリーガー
ロジャークレメンスの言葉です。
クレメンス投手はむき出しの闘争心で
火の玉のようなボールを投げる名選手でした。
野球は戦争なんだ!
まさしくクレメンス投手らしい、炎のような言葉です。
クレメンス投手がまだ活躍していた頃、
ぼくの息子は小学生でした。
その頃、ぼくは息子に野球を教えていました。
息子は優しい性格の子でした。
野球をやるには闘争心が足りない。
ぼくはそう思っていました。
だって、BASEBALL IS WAR!だから。
他の選手を押しのけてでも、前に出なくちゃいけない。
遠慮したり、他人を気づかってるようじゃいい選手になれない。
一発やられたら二発やり返すような男じゃなきゃ
野球なんかできるわけがない、そう信じていました・・・。
あれから、随分と時間が経って、
息子は20歳を過ぎ、ぼくは50歳を超えました。
しかも、2011年からのぼくはメンタルプロコーチです。
で、実は、今のぼくにとって、BASEBALLはWARではありません。
BASEBALL はGAMEです。まぎれもないゲームです。
それは、成功と失敗、歓喜と挫折という体験から
チームや団結や絆や、勇気や応援や愛を学ぶゲームなのです。
決して、戦争やケンカの仕方を教わってるわけじゃない。
絶対に勝つという覚悟。
苦しいトレーニングをやりきるモチベーション。
そして、今この瞬間に全力を出しきるというメンタル。
もし闘争心という言葉が必要とされるのなら
それは対戦相手に向けられることよりも、
自らの心を鼓舞する、内側に向けられた闘争心であるべきです。
日大のアメフト部の悲劇・・・。
当事者の彼は、もうアメフトを辞めると言っていました。
高校時代は楽しくて夢中でやっていた
大好きなアメフトをやめなくちゃいけないなんて。
ケガをした選手も被害者ですが、ケガを負わせた彼も被害者です。
スポーツ指導者は今回のケースから教訓を得なくてはいけません。
勝つことは大切です。勝つために本気でやるのです。
そしてさらに、もう一つ目線を上げたビジョンを持って欲しい。
それは、勝ち負けを超えたところにあるビジョン。
選手たちの人間的な成長を目指すビジョン。
スポーツは、人を成長させるためのレッスン、学びの場であるということ。
ぼくの夢は日本中の子供達をワクワクさせること。
そのためには、ワクワクしている大人が必要です。
やっぱり、WARじゃなくてGAMEでいいよね。
そっちの方が、断然ワクワクするからね。
あえて、世界一の名投手に反論することにしました。
クレメンス投手、ごめんなさい。

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部活動は最高のアクティブラーニング

アクティブラーニングが注目されています。
アクティブラーニングの意味は、
「教員からの一方的な講義で知識を覚えるのではなく
生徒たちが主体的に参加、仲間と深く考えながら
課題を解決する力を養うのが目的。
グループワークやディスカッション、体験学習、調査学習などの
指導・学習方法の総称」です。
従来の講義スタイルは受動的な学習であり
アクティブラーニングは自主的で能動的な学習を促します。
言い方を変えると、講義スタイルはティーチング。
アクティブラーニングはコーチングと言ってもいいかもしれませんね。
で、ここから先は僕の持論ですが、
部活動って最高のアクティブラーニングだと思いませんか?
部活動は自主的に選択して活動するものです。
チームスポーツであれ個人競技であれ、
一つの目標を設定して仲間と一緒に懸命に努力する。
課題や試練は、互いに協力して知恵をしぼり、突破していく。
つまり、部活動はアクティブラーニングの条件を全てクリアしています。
とはいえ、現状の部活動は指導者が主体となって教え込む。
叩き込むティーチングスタイルが主流のように感じます。
指導者は生徒に上手くなってもらいたい。だから 、教えたい。
教えたいという 情熱が行き過ぎると、叩き込みたくなる。
ほぼ強制的に叩き込む。できないやつには叱責してでも叩き込む。。。
ところが、教えれば教えるほど、生徒は学ばなくなります。
自主性を失うと面白くない。面白くないものにはモチベーションが上がらない。
躍起になっているのは指導者だけ。
生徒は、指導者に服従して、とりあえず「はい!」と返事しとけばいい。
3年間の部活動で学んだことは、とりあえずの「はい!」と
指導者の理不尽な情熱につきあう我慢強さだけじゃ、ちょっと寂しいね。
本当は部活動から学ぶことは山ほどあるはずです。
どうしたら目標達成できるのか?
本当に成し遂げたいと思うなら、必然的に自主的な思考が生まれるはずです。
そのためにどんなトレーニングが必要か?
劣勢であればあるほど、知恵と工夫が必要になります。
一人の力だけで達成できないから、話し合い協力するスキルも大切です。
人はトライ&エラーを繰り返して成長するものです。
指導者は、トライする勇気とエラーから学ぶことに、気づきを与えます。
時には、目標を達成できずに挫折することもあるでしょう。
挫折からどう立ち直るか?新たなビジョンをどうやって見つけるか?
これこそが、生きる力を育てる最高の学びになります。
昨今では、中学高校の部活動を学校教育から切り離すという議論もあります。
顧問の先生にあまりに大きな負荷がかかることが原因のようです。
確かにその通りだと思います。一生懸命な先生ほど苦労していますよね。
とはいえ、部活動が大切な教育機会であることも間違いありません。
部活動は最高のアクティブラーニングです。
やはり、学校から切り離すのはもったいないな〜と思うのです。
地域の外部コーチと学校の先生と保護者が協力して存続してほしいな。
勝利至上にいきすぎず、かと言って遊びやレジャーだけでもなく
生きる力を学ぶアクティブラーニングの場として
もう一度、 部活動のあり方をを考えてみませんか?

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お父さんからのバトン

父が亡くなって10日が経ちました。

葬儀から様々な手続きまで、怒涛のような1週間が過ぎて
ようやく落ち着いて、事実を受け入れています。
とはいえ、時々、ふっと立ち止まってしまうし
もう話すことはできないと思うと寂しさがこみ上げてきます。
「こんなに頑張った患者さんはお父さんだけですよ」
そうお医者さんから言われた時は、涙が止まらなくて、
悔しいけど、誇らしくて、なんだかわからないけど泣けました。
全力で生きた人だから、戒名は「全廣」です。(俗名は廣一)
父は茨城県生まれで、生家は興行師だったそうです。
戦前は、芝居小屋や映画館を経営して羽振りが良かったけれど
戦争で全てを失ってからは苦労が多い人生になりました。
「本当は新聞記者になりたかった」
小学生の頃に、父の夢を聞いたことがあります。
「だけど幼い兄弟を養うために、働くしかなかった」
タバコをふかしながらそう言っていました。
亡くなる1ヶ月ほど前に、だいぶボケてきた父に代わって
銀行口座や行政の手続きの整理をしました。
その時、小さな金庫が見つかって、中身を問いただすと
「まったくわからない・・・」って言うから、無理やりこじ開けたんです。
そしたら、中に入っていたのは国家資格の証明書でした。
一級整備士。昭和40年、僕が生まれた年に取得した資格でした。
証明書には30歳の父の顔写真が貼ってありました。
とても若くて、兄の顔に似てるし、僕の顔にも似ていました。
父は新聞記者になれなかったけれど、
母と僕たち兄弟を守るために一生懸命働いてくれたんです。
初めてキャッチボールをしたこと。
カーブの投げ方を教えてくれたこと。
夜行列車で東京へ行って、後楽園球場で野球を観たこと。
一緒に犬の散歩をしたこと。
コント55号を見ながら笑い転げていたこと。
中学の時、部活をサボってた僕を、本気で叱ってくれたこと。
そんな思い出話を、父と語り合うことはできないけれど、
僕の心の中にはいつも父がいます。
だから、寂しいけれど悲しくはない。不思議だけど悲しくはありません。
亡くなった時間は午前3時半過ぎでした。
僕は父の傍にいながら、母の存在を直感しました。
今ここに母が来ている。
15年前に亡くなった母が父に会いに来た。そう感じました。
母は僕の目を使って、父を見ていました。
母は僕の手を使って、まだ僅かに温もりがあった父の手を握りました。
父はその手を握り返しました。それが最後でした。
「終わりがきた。だけどそれでいいんだ」
亡くなる数日前に父が残した言葉です。
「・・・だけどそれでいいんだ・・・」
全力で生きた人。父らしい言葉だと思います。
次は僕が全力で生きる番です。
お父さん、ありがとう。バトンはしっかり受け取ったよ。

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体罰と情熱のあいだ

先日、世界的に有名なジャズ奏者が

ルールを無視して演奏を続ける中学生を平手打ちする事件があった。
マスコミで大きく報道され、多くの有識者が意見を発表した。
悪いのは中学生であることは間違いない。
問題はそれを正す側の指導者のあり方だろう。
その矢先、地元の新聞に、高校野球指導者の体罰が報道された。
サインミスした選手の足を蹴って胸ぐらをつかんだらしい。
昭和40年生まれで小中高と野球をやった私には見慣れた光景だ・・・
あの頃の指導者は恫喝は当たり前、ビンタやゲンコツは朝飯前だった。
とはいえ、時代は進んでいる。指導法も進化しなければならない。
メンタルコーチングを学んでから、私は体罰も恫喝も容認していない。
講演会などで、多くのスポーツ指導者から同じような質問を受けてきた。
「体罰はともかく・・・怒ったり怒鳴ったりするのもダメでしょうか?」
その気持ちはよくわかる。
そもそもスポーツ指導者は情熱的な人が多い。
勝つために一生懸命にやっている。
中には自分の時間や家族のことを犠牲にして取り組む人だっている。
なのに、選手たちは期待を裏切る。
本気でやってないように見えてしまう。
怒りたくなるのは無理もない。怒鳴ってしまうだろうな・・・。
そんな時、こう自問自答してみる。
「何かを教わる時、殴られたり怒鳴られたりしたいか?」
殴られるのは絶対に嫌だ。怒鳴られるのも・・・やっぱり嫌だ。
自分が悪い・・・理性では理解できても、感情が拒否反応を起こす。
私なら、おそらく3日と持たないだろう。すぐに逃げ出すだろう。
一瞬、反発心は出るかもしれない。
だけど持続的なモチベーションは上がらない。
人を指導する。人を育てるって、本当に大変なことだ。
技術だけを教えても上達しない。技術を操るのは人間の心だからだ。
指導者は技術とともに、心のあり方を伝えなければならない。
それには自らの言葉と行動で、人としてのあり方を見せるしかない。
指導者が怒りを爆発させ怒鳴り散らせば、選手はその姿に学ぶ。
相手が間違っていれば、怒って怒鳴ればいいと。
その選手が社会に出たら同じことをするだろう。
部下は使えね〜〜!って、怒って怒鳴って蹴飛ばすかもしれない・・・。
本当はそうじゃなかったはずだ。
野球の楽しさを教えたかったはずだ。
音楽の素晴らしさを伝えたかったはずだ。
厳しさ=怒ること・・・それはちょっと違うだろう。
厳しさとは、絶対にあきらめない姿勢だ。
指導者は選手の可能性を絶対にあきらめない。
「必ずできる」「やればできる」「お前は絶対にできる」と信じること。
恫喝のかわりに勇気の言葉を送り続ける。
時間はかかるかもしれないけれど。続けてみてほしい。
絶対にあきらめない人を情熱家と呼ぶ。
情熱ある指導者のみなさん、あなたの仕事が未来を作っている。
目の前の勝利も大切だが、未来への貢献はもっと大切だ。
勇気を持って、一緒にやろう!

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背番号20はみんなの想いを背負う

日本中が高校野球で沸騰中!

青森県大会ではベストエイトが出揃った。
聖愛高校は1回戦から3試合連続コールドで勝ち上がった。
ここまでは順調だが、ここからが本当の勝負だ。
実力伯仲の中、勝敗を決するのは僅かな差。
技術や戦術はもちろん、メンタル面の比重も高い。
最後は「想いの強さ」。つまりイメージのチカラだ。
どんな時でも、揺るがない勝利のイメージを持てるか?
例えば7点差で負けていても勝利のイメージができるか?
大逆転劇を起こしたチームはそれができたチームなのだろう。
明日から準々決勝、準決勝、決勝。
どんなドラマが待っているのか、ワクワクが止まらない。
さて、聖愛高校ではベンチ入りメンバーを投票で決める。
チーム内では『聖愛総選挙』と呼んでいる。
選手も監督も1票ずつを持ち20人の代表を選ぶ。
絶対的なエースや主軸を打つ選手はともかく。
当選か落選かの瀬戸際にいる選手は運命の一日。
その選手は春季大会でベンチから外れた。
冬場のトレーニングで懸命に努力したのに結果を出せなかったのだ。
この時季、ベンチ入りできない3年生は岐路に立たされる。
夏までもう一度チャレンジするか?スタッフとしてチームに貢献するか?
どちらも立派な選択なのだ。一概にどちらがいいかは判断できない。
彼はチームトレーナーになることを決断した。
本人にとっては苦渋の決断だ。将来を見据えてのことだ。
とはいえ、ずっと応援してきた両親は落胆しただろう。
親は誰でも、野球をやっている息子の姿を見たいのだから。
期待に応えられない自分を責めて、野球を辞めたいとさえ思った彼。
そんな中、僕は彼と話す時間をもらった。
「もうこれ以上頑張りようがない。もう充分にやりきった」
「両親には申し訳ないと思う。ごめんなさいと伝えた」
「将来はスポーツトレーナーになりたい。今から準備したい」
チームトレーナーになって貢献する、素晴らしいビジョンだと思った。
けれど、何かスッキリしなかった。
彼の心の中に燃えカスが残っているように感じた。
「将来スポーツトレーナーになった時、野球選手の治療もするのかな?」
「はい、やります。それが一番やりたいことです」
「少年野球や高校野球の選手の治療をするんだね?」
彼はキラキラした目で頷いた。
「治療だけじゃなく、いろんな相談にものってあげたいよね?」
うん、うん、と何度も頷く彼。きっと未来の映像が見えている。
ここで僕は核心に触れる質問をしてみた。
「もし、レギュラーになれなくて悩んでいる子や
ベンチ入りできなくて心が折れそうな子が来たら何て言ってあげたい?」
一瞬、彼はハッとした表情を見せて、うつむいて考え始めた。
「どんだけ頑張ってもベンチに入れない・・・もう辞めたい・・・そう言われたら
未来のキミはどんな言葉をかけてあげるだろう?」
しばらく時間が経った。ちょっと苦しい質問だったかもしれない。
彼が顔を上げた。
「やりきれと言います。最後までやりきれって言います」
「そうか。最後までやりきって欲しいんだね。それが大切なんだね」
黙って彼は頷いた。
立ち上がって握手して別れた。
夏の甲子園予選開幕1週間前。
監督から最終のベンチ入りメンバーが送られてきた。
背番号20に彼の名前があった。
投票と話し合いの結果、みんなの総意で決まった20番。
やりきったんだな。未来の自分のためにやりきったんだ。
1回戦で一度だけ打席に立った。スタンドから大拍手が起きた。
それ以外はブルペンキャッチャーをやっている。
大きな声でチームに元気を与える選手。
準々決勝、準決勝、決勝。仕事はまだまだある。
背番号20はみんなの想いを背負っているのだ。

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もう一つの甲子園

この時季になると、胸が苦しくなる。

甲子園までのカウントダウンが始まるからだ。
つい先日、春季大会を終えたばかりなのに
夏の大会は猛ダッシュで向かってくる。
ここ数年、戦国青森と呼ばれるほど青森大会は熱い。
全国屈指の力を誇る八戸学院光星を筆頭に
秋と春を制した青森山田、プロ注目の剛腕投手を擁する八戸工大一。
さらに弘前東や三沢商業や大湊高校など実力校がひしめく。
聖愛高校も成長した。
秋は地区予選敗退。長く厳しい津軽の冬を越えて強くなった。
春季東北大会では選抜ベスト8の盛岡大付属を破る躍進ぶり。
今年の夏は目が離せない。しびれる毎日が続きそうだ。
そんな中、素晴らしい大会が行われた。
光星、山田、工大一、工大二、弘前東、聖愛の私学6校だけの大会。
非公式ながら、この時期に私学強豪高が一堂に集まるのは驚きだ。
なぜ、このような大会が実現したのか?
甲子園予選まで残り1ヶ月を切ると、チーム作りは完成に近づく。
いよいよベンチメンバーが決まり、本番に備えるのだ。
3年間の全てをこの夏にかけてきた選手たち。
みんなに報いてあげたい。だけど、全員がベンチには入れない。
人生とは時に無情だ。
野球が好きで、野球をやりたくて、頑張った日々・・・。
悔しいけれど、現実を受け入れなくてはならない。
18歳の若者たちは、それを乗り越えていく。
そんな3年生のために、積み上げてきた日々を発表する場を作ってあげたい。
この大会は頑張ってきた彼らのために企画された。
普段はライバル関係にあるチームが協力して用意されたステージ。
どのチームもハツラツとプレーしていた。
おもいっきりボールを追いかけ、みんなで声を掛け合って、
いい顔で野球をやっていた。
いつもはサポート役として練習補助をしていた選手が打った。
スタンドのお父さんやお母さんが大拍手をした。
初めて見るバッティングフォーム。守備もしっかりできていた。
いいね〜!素敵だね〜!輝いてるね〜!
みんな、野球が好きなんだな!どのチームもどの選手も最高だった!
3年間の頑張りを見せてもらった。ナイスゲームだった。
まばらなスタンドの野球場。だけど、これも甲子園だ。
野球少年たちが輝く場所。そこは彼らの甲子園だ。

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学生コーチ

ゴールデンウイーク間近になって

青森にも遅い春がやってきた。
つい最近まで雪が降っていたと思っていたのに
あっという間に桜が満開になった。
この時期になると、青森にも野球シーズンが到来する。
近所の小学校のグラウンドからは、
野球少年たちの元気な声が聞こえてくる。
いい季節だ。
メンタルコーチとして関わっているチームも
いよいよ春季大会を迎える。
ザワザワしたり、ドキドキしたり、ワクワクしたりの毎日になる。
3年生になると、最後のシーズンを迎える。
新1年生として入部してから丸2年が経つのだが、
彼らの成長には毎年驚かせられる。
2年前は少年のように初々しかった彼らが
今では、心も体もたくましく凛々しい若武者のようになる。
16〜18歳で経験する濃密な2年間は、
50歳を超えた私の2年間とは比較にはならないのだ。
特にラストシーズンを迎える3年生には
何か近寄りがたい決意のようなものを感じる。
「学生コーチをやることになりました!」
ある3年生が晴れやかな表情で言った。
物静かで控えめで、とても真面目な彼は、
野球という競技で、輝く場所が見つからず苦しんでいた。
それでも懸命に練習する姿や
メンバーの補助に徹する姿勢は立派だった。
その彼がプレーヤーとしての戦いにピリオドを打った。
彼の思い、どれほどの葛藤があったか、想像できるだろうか?
ご両親や家族、友達や恩師への思いもあるだろう。
期待に応えられない自分への憤りもあるだろう。
それでも彼は決意したのだ。
チームのために、自分ができることは何か?
そう考えた結果、学生コーチという役割を選んだのだ。
自分で考え、自分で決めた選択には、大きな学びがある。
最後のシーズン、およそ3ヶ月あまりの期間、
学生コーチとして、彼が学ぶことは計り知れないだろう。
彼は今、グラウンドで輝いている。
仕事は山のようにある。
頭と体をフル回転させなければ対応できない。
充実してるだろうな。いい顔してるもんな。
高校野球は9人のスタメンで戦うスポーツではない。
ベンチに入っているサブの選手はもちろん、
スタンドにいる全選手の総力を結集して戦うスポーツだ。
打つ、投げる、走る、捕る、すべてのプレーの後ろ側には
チームを支えてくれる仲間たちの存在がある。
春になると、あちこちのグラウンドから元気な声が聞こえてくる。
とてもいい季節だ。やっぱりそう思う。

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あの子の母親の手記に思う

前回このブログで書いたこと。



僕の地元の中学の男の子が自殺した件。


あれは確か夏休み最後のあたりだった。


その直後に、また地元の中学の女の子が亡くなった。


女の子の方は、全国ネットのニュースにもなったので


知ってる人もいるだろう。


二人ともいじめを苦に自らの命を絶った。


二人とも遺書のようなものを残していた。


もうこんな毎日は嫌だ。死んだ方がマシだ。


そんな悲痛な叫びが綴られていた。


あれから4ヶ月の月日が流れた。


有識者による原因究明が行われた結果、


女の子の方は、いじめが直接的な原因として認められた。


ラインなどで暴言を吐いた同級生の子が指導を受けたそうだ。


一方で、男の子の方はいじめが一因でしかないと報告された。


つまり、要因は他にもあり、いじめだけが自殺の原因ではないと。


それを受けて、男の子の母親が「納得できない」という手記を発表した。


手記を読むと、我が子を失った母親の悲しみが溢れている。


『優しい子に育てた自分がダメなのかな?


怒りは人をゆがめてしまうけど、それでも許したくない。


いじめた人たちには罰を受けてほしい』


子を持つ親なら、この言葉は共感できるだろう。


怒りも憤りも悲しみも、消えることはない。




どうしたら、いじめがなくなるのだろう?


本当はどんな世界になったらいいのだろう?




今、子供達の世界に何が起きているのかな。


子供達の世界は、大人の世界の投影かもしれない。


大人がやっていることが、そのまま子供達に反映されている。


勝つか負けるか?競争に勝ち残ること。


自分さえよければいい。自分の家族さえ幸せならいい。


自分の会社だけが儲かればいい。


自分の住んでる場所だけ、清潔ならいい。


自分の国だけが平和であればいい。


私たち大人が、そう考え、話し、行動するのなら、子供達もそうするだろう。


私たち大人が、しくじったものを責め、罰を与え、排斥すれば


子供達もそうするだろう。


そういえば、2016年は、たくさんの人がしくじって、徹底的に責められていたね。


あれは、言葉を変えると、マスコミを使った公開いじめじゃないかな。


攻撃されたものは必ず報復する。


ある意味、自殺は生きている人への報復かもしれない。


そして、戦いは新たな戦いを生み出すだけ。




誰かが終わらせなきゃいけない。


勇気を持って、戦いの悪循環を止めなければいけない。


それはやっぱり大人たちの仕事なのだろうと思う。


子供達のお手本となり、背中で見せる時なのだ。


お母さんには酷かもしれない。


今は悲しみと怒りを抑えるのは無理かもしれない。


だけれども、いつか戦いに終止符を打とう。


罰を与えることではなく、愛と赦しで世界を変えよう。


2017年は、その始まりでありたい。


私はそのために祈り、語り、動く。そうありたい。


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